ブダペストって、ブダとペストに分かれてるって知ってました?
僕、実はブダペストに行く直前まで知りませんでした。
そのブダとペストをつなぐ大事な役目を果たしているのが、「セーチェーニ鎖橋」。
僕はブダペストの中で一番好きかもしれません、セーチェーニ鎖橋。
今回は、そんなセーチェーニ鎖橋の魅力や歴史、行き方についてまとめようと思います。
セーチェーニ鎖橋とは?
ブダとペストをつないだ最初の橋
セーチェーニ橋は、ドナウ川をはさんで分かれている「ブダ」と「ペスト」の2つの街をブダとペストをつないだ初めての橋。
1849年に完成しました。
当時、船をプカプカいっぱい並べてその上に板を乗せた「舟橋」っていう簡易的なものはあったらしいんですが、ブダペストの寒い冬には機能してなかったらしく、新しく橋を作る話が出てきたんだとか。
その話を持ち出したのが、この橋の名前にも入っている、セーチェーニ・イシュトバーン伯爵です。
って彼が言い出して、1839年から建設がスタート。
橋ができたのは1849年ですから、完成まで10年かかってます。
当時は今見たいな機械も技術もなかったやろうから、すっごい大変やったんでしょうね。
脱帽です。
全長380m×幅15m
セーチェーニ鎖橋は全長380メートル、幅は約15メートルある巨大な橋。
存在感、あります。
ドナウ川には有名な橋が4つかかってるんですが、この鎖橋が一番有名です。
世界遺産の一部
セーチェーニ鎖橋、実は世界遺産です。
「ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り」という名前で、ブダペストのこの辺り一帯がまとめて世界遺産に登録されているんですが、セーチェーニ鎖橋もその中に含まれています。
第二次世界大戦中に破壊
第二次世界大戦、ハンガリーは枢軸国側(ドイツや日本と同じ)でした。
ドイツと一緒にソ連とバチバチやってたわけです。
ソ連はブダペストに入ってきて、包囲。
これはマズい!
ということで、ドイツはそれ以上ソ連が入ってこれないようにブダペストの橋を壊していったんですって。
その中にセーチェーニ鎖橋も含まれちゃっていたんです。(そりゃブダペストで一番の橋ですからね)
というわけで、セーチェーニ鎖橋は1945年に一回壊されてしまってます。
しかし、戦争が終わったあとの1949年に再建され、今の姿に。
そのおかげで僕もこの橋をテクテク歩けたわけですね。
ライオンの像に残る逸話
セーチェーニ鎖橋の両端には、4体のライオンがいます。
一応言っておきますが、本物じゃありませんよ。
像です、像。
このライオンの像には、ある逸話が残っています。
マルシャルコー・ヤーノシュという彫刻家さんが気合いを入れて製作し、オープニング・セレモニーでお披露目したんです。
すると、誰かが、
と指摘。
そのことがいろんな人に広まっちゃって、さぁ大変。
みんな、からかい出します。
すると、マルシャルコーさん、耐えられなくなって、ドナウ川に飛び降り自殺しちゃいます。
相当ツラかったんやろな・・・。かわいそう。
でも、実は、舌はちゃんと作られてるんです。
ライオンは舌を垂らさないってことで、口の奥の方にちゃんとあるんですって。
上からしか見えないから、みんな気づかなかったそうなんですよ。
いや、それで自殺って、ツラすぎる・・・。
とまあ、これは逸話なので、本当かどうかはわからないんですけどね。
そんな話が残ってるそうですよ。
セーチェーニ鎖橋を歩く
セーチェーニ鎖橋には歩道が付いていて、誰でも歩けるようになってます。
380メートルもありますから、歩きごたえがありますよ。
また、歩きながらブダ城やら国会議事堂やらが見えるんで、絶景ポイントとしても有名です。
夜景が綺麗
ブダペストといえば、夜景です。
このセーチェーニ鎖橋もライトアップされて、ええ感じに光ります。
こんな感じです。
ええ感じです。
行き方
セーチェーニ鎖橋は、ブダ側からも、ペスト側からも行けます。
ブダ側から行く場合は、「Clark Ádám tér」というバス停が最寄りです。
ペスト側から行く場合、メトロ(地下鉄)なら「Vörösmarty tér」が最寄り駅。
トラム(路面電車)を使う場合は、最寄り駅は「Eötvös tér」もしくは「Széchenyi István tér」になります。
▼Eötvös tér駅
▼Széchenyi István tér駅
まとめ
というわけで、今回はセーチェーニ鎖橋についてお届けしました。
僕はこの橋がめっちゃ好きで、往復4回ぐらいしちゃいましたよ。(しすぎ)
魅力たっぷりなんで、ブダペストに行くならぜひ歩いて渡ってくださいね。
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