ワーキングホリデーを使って海外へ行くことは悪いことなんでしょうか?
日本にいるとき、ワーホリでデンマークへ行くことを伝えると、
「いいなー!」
「絶対いい経験になるよ!」
といったポジティブな声が多かったのですが、
中には、
「その歳で仕事やめて行くとか、アホやなー」
とか
「ワーホリで海外?遊びたくて逃げてるだけやんー」
というような、ネガティブな反応をする方もいました。
みなさんはどう思われますか?
確かに、毎日一生懸命働いている人から見ると、
1年ほど働かずに過ごすなんて甘いと思う気持ちはわからなくはないです。
「ワーホリ」=「楽して海外で過ごす」というイメージもあると思います。
でもそれは、そういったイメージと、「ワーホリで過ごす期間」だけにフォーカスしているのでは?
ぼくの場合、日本で8年間働いたあとに、ワーホリビザでデンマークに来ました。
その 8年間のあいだに、
大学の奨学金の返済に約250万円かかり、
インテリアの専門学校の学費に約100万円を費やし、
そしてデンマークで1年間過ごすためのお金として約240万円ほど貯めました。
ワーホリビザを取るために、たくさんの人に話を聞き、
ビザの手続きや英語の勉強なんかも、もちろん自分の時間を削って全部やりました。
これはぼくの場合の話ですが、
つまりは、ワーホリをするために、多くの人はそれまで色んな努力や準備をしているわけです。
そのことを考えずに、「ただ1年間ゆっくり海外で過ごすことができる」という
その「権利」と「状況」だけでネガティブな意見が生まれてきているんじゃないかな?
あと、ワーホリは、「ワーホリしている期間」だけに注目するんじゃなくて、
人生という大きなレンジで見るべきだと感じます。
どういうことかと言うと、
例えば、ある仕事を、同じ方法でずーっと作業しているとします。
でも実は、その方法より効率のいいやり方が他にもあるかもしれないですよね。
その場合、一度手を止めて、もっと効率的にする良い方法を考える。
手を止めて考えている時間は、もちろん生産性が0になるかもしれないけど、
もし改良できる良い方法が見つかれば、それ以降の時間は、
それまでよりも多くの仕事を短時間でできるようになります。
人生におけるワーホリも、そんな役割があるんじゃないかな。
自分の好きなことや興味のあることを、
一度立ち止まって探す。
もし今まで気づけていなかった自分の得意なことや興味に出会えれば、
ワーホリ以降の長い人生は、より良くなる可能性がある。
そう考えると、一度立ち止まることは、悪いことではないんじゃないかな。
それも、その「立ち止まり」を日本ではなくて、海外ですると効果が高い気がします。
「住む国レベル」で環境が変わると、
いろんなことの変化が大きく見えて、違いに気づきやすくなります。
それはこの数ヶ月で感じたことです。
前回の記事:生チョコ作りから考える「人生とワーホリ」でも書いたとおり、
これから来る、いえ、もう来ている、AIによる大きな変革の時代では
機械にはできない、非効率だけど魅力的なものが人間の強みになっていく可能性がある。
それはやっぱり、人間の持っているエネルギーとか、
その人にしかない人間性や魅力が大事になるんだろうと思います。
そう思うと、今までしていた作業を一度止めて、
自分の可能性を探ることは、意味が大きいのかなと。
そんな風に考えるので、やはりワーホリという制度はすごく有り難いし、
どんどん活用すべきだと思います。
でも、忘れてはいけないのは、ワーホリをするためには、
たくさんの人の協力や理解が必要で、その上で成り立つということ。
仕事を途中でやめるのなら、会社の人にその分の負担がかかってしまう。
もちろん家族の理解も必要。
ワーホリ制度を使って海外で暮らすことは、
本当に長い人生にとって良いサプリになると思うけど
その生活は本当に有り難いことだし、当たり前ではない。
本当に感謝をしないといけないし、僕は周りの方にすごく感謝しています。
これからも、そのことは常に心に置きながら、それも活力にして、
毎日を過ごそうと思います。
今日も読んでいただいてありがとうございました。