こんにちは。
今日もフォルケホイスコーレ生活のことを書きますね。
昨日も書きましたが、今週は毎日「ハンディキャップ(障害)」をテーマにした授業を受けてます。
普段は、各コースごとに用意された授業、例えば、僕は「デンマーク語コース」なので、毎日デンマーク語の授業を受けてます。
が、この学校では、毎月一回ぐらいのペースで、「テーマ週」というのが設けられていて、その週については、そのテーマに沿った授業に変わります。
で、いつもはコースごとにクラスが分かれてるんですが、テーマ週のときは全クラスの生徒がみんな一緒に受ける授業があったりします。
今週はそんな感じです。
今日もいろんなことをしたんですが、特に印象的だったのが、授業の中でディスカッションした、「耳が聞こえないことのメリットとデメリットについて考える」ということ。
デメリット、つまり耳が聞こえないことで困ること、については何度も考えたことがあったけど、そういえばメリットっていう観点で考えたことなかったなって思いました。
で、どんなメリットがあるかな?ってみんな意見出したところ、例えば、
「騒音が聞こえないから、めっちゃゆっくり寝れる」
とか
「常に静かだから、落ち着いて本が読める」
などなどがありました。
ほー、確かに!って、目から鱗(うろこ)状態。
車のクラクションとか、大きい音があんまり得意じゃない僕にとっては、それってめっちゃメリットになるのわかるわー!って共感できました。
そう、よく考えたら、耳が聞こえないことで良い点もあるんです。
勝手に、耳が聞こえない=マイナス って思っちゃってたけど、プラスの側面もありますね。
というか、なんで「マイナス」って生まれるんやろ?って考えると、それはある基準が作られていて、それとの比較で、達してるのか、達していないのかで、「プラス」と「マイナス」ができる。
「耳が聞こえる人」が大半で、「耳が聞こえること」が前提で社会が作られてるから、
「聞こえる」っていうのが基準になって、
「聞こえない」がマイナスになっちゃう。
そんな基準がある社会やから「社会的弱者」ってことにされてるだけなんだと。
もちろん、「音」は便利な側面が多いから、それを使わない手はないわけでこうなってるんやろうけど、つまりはマイナスってそういうことなのかなって、それだけのことなんかなって思います。
漠然と「マイナス」と思ってしまっていたことに、実は「プラス」があるっていうこと、めちゃ勉強になりました。
これは何も「障害」に関してではなく、あらゆる物に対して、そう考えることができるのでしょう。
もしマイナスやと思ってたことに、プラスの面を発見できたら、それってめちゃくちゃ意義のあることです。
本当にマイナスなのか?
プラスのことがあるんじゃないか?
そんな視点を持って、周りのモノ・コトを見ようと思った授業でした。
今週は「ハンディキャップ」をテーマにした授業を受けてますが、ホントに新しい発見が毎日あります。
このフォルケホイスコーレに、日々感謝です。
それでは、今日はこの辺で。
ちょっと今お腹いっぱいなんで、これからお昼寝してきます。
また明日も書くので、読んでもらえると嬉しいです。
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