ポストカード、はじめました。
フォルケホイスコーレ

「できる」の定義

「できる」の定義
「できる」の定義

 

今日のフォルケホイスコーレ、シリアの音楽を学ぶ授業がありました。

 

 

おとといは「校内オリンピック」、昨日は「サルサダンス」、そして今日は「シリア音楽」。

 

 

昨日も言いましたが、デンマーク語の勉強も、英語の勉強も、ちゃんとしてますよー。

 

 

しかし、まあ、ホント、今まであまり出会わなかったことに、デンマークに来て毎日出会えてます。

 

 

今日の授業では、こんな楽器を叩かせてもらいました。

「できる」の定義

 

真ん中と端っこの方を叩いて音を出します。

 

 

今日来てくれた先生はレバノン出身の方で、ものすごく速く指を動かして、複雑なリズムを奏でていました。

 

 

今まで馴染みのなかったシリア音楽に触れれて楽しかったのですが、授業の中で感じたことがあって。

 

 

前から思っていたことなんだけど、それは「できる」の定義について。

 

 

授業中、先生が、「この太鼓、叩ける人!」みたいな感じで質問をすると、

 

 

シリア出身の生徒が「私、できる!」と言って名乗りでました。

 

 

実際に叩いているところを見ると、確かに叩けていたのですが、

 

 

でもたぶん、「その太鼓の世界」の中では、そんなに「できる方」ではない感じでした。

 

 

僕ならたぶん、「できない」に分類してしまうような気がします。

 

 

でも、彼女は「できる!」と自信たっぷりに言うのです。

 

 

これと似たようなことが他にもあって。

 

 

他の国の子と喋っていたときに、

 

 

「君は日本語と英語とデンマーク語が喋れるね」と言われたことがありました。

 

 

ぼくは、まあ、日本語はさすがにできますが、

 

 

英語もデンマーク語も、ホントそこまで喋れません。

 

 

英語は日常会話が少しできる程度、デンマーク語に関しては、日常会話が怪しいレベル。

 

 

とても僕の中では、「できる」というレベルではないのに、彼らは「できる」と定義するのです。

 

 

つまりは、「できる」のハードルの高さが違うわけですが、「できる」と思った方がいいのかもしれないなと思いました。

 

 

よく考えると、英語もデンマーク語も全く何も話せない「0(ゼロ)」ではないわけで、

 

 

「できる」部分もあります。

 

 

「できない、できない」と思っていたら、何にもできない気がしてきて、モチベーションも下がるときも多々。

 

 

でもなんでもそうだけど、いま「できること」を使って、少しずつ「できること」を増殖していくしかないのかなーと。

 

 

増殖していくと、それが自信になって、またどんどん「できること」が増えて、たぶんハッピーになるんだと思います。

 

 

少しの捉え方の違いだけど、「できる」と思うのと、「できない」と思うのでは、

 

 

そこにある差は、きっと大きい。

 

 

そう思うと、いま「できること」は、小さくても、「できる!」と認めてあげることが大切じゃないかなと感じます。

 

 

自信満々の人は、やっぱり魅力的に見えますもんね。

 

 

ぼくも「自信満々男」を目指して、捉え方を変えようと思います。

 

 

それでは、また明日、また発見できたことについて書きます。

 

 

日本では季節外れの雪が降ったそうですね。

 

 

デンマークも相変わらず寒いです。

 

 

風邪を引かないように、気をつけましょうね。