昨日、オーフス(デンマーク第二の都市)で買い物をしてきました。
欲しかったのは、ブランケット的な布。
なんで欲しかったかと言うと、芝生の上に敷いて、その上で寝転がりたいから。
最近、暖かくなってきて外で過ごすのが気持ちいいから、このフォルケの生徒たちはよく、芝生の上でゴロゴロして気持ち良さそうにしてます。
その姿を見て、ええな〜と思って、僕も天気のいいときはゴロンゴロンしてくつろいだりしてます。
でも、芝生に敷くものを持ってなかったんで、他の生徒から借りて、それをずっと使わせてもらってて。
で、すっと借り続けるのも悪いし、自分のを買おうと決意。
せっかく買うんやから、なんか自分が気にいるええ布欲しいな〜と思ってあちこち回ってたんです、最近。
そのとき思ってた「自分が気にいるええ布」って、なんか「ハンドメイドで作られた、世界に一個しかない布」みたいなのをイメージしてました。
でも、そんなのはなかなか見つからなくて、僕の布探しの旅は暗礁に乗り上げてました。
「好きな柄の布」はあったんです。
でも、それは「大量生産されてる製品」で、その「大量生産されてる」ってだけで、なんか魅力的に映らず。
それで、気に入った柄があってもスルーし続けてたんですが、あまりにも見つからへんから、結局、「大量生産品やけど好きな柄」の布を購入しました。
そんな感じで最近は、「世界で一つだけのもの」みたいな物が魅力的に映ります。
例えば、これ。
左のが、デンマークで買ったハンドメイドの1点もの。
そして右は、イタリアで買った、これまたハンドメイドで作られたもの。
どっちも「世界で一つしかない」感がすっごいあるんですが、いや待てよと。
よく考えると、大量生産されたものだって、使っていくうちに、使った人がつける独特な傷とか使用感ができて、それはそれで「世界で一つしかない物」になるやないかと。
生産されたときは、姿形が同じものが大量にできるけど、使い始めると、そこからは「世界で一つしかない物」になっていくぞ、と。
このアクセサリーみたいに、作られたときから「世界で一つ感」があるものと、「使い始めてから世界で一つ」が始まるものと、時間軸が違うだけで、どっちもオリジナルになり得るということに気づいたわけです。
要は使う人が価値をつけていけば良いわけやし、スタート時にオリジナルかどうかは、関係ないのかも、と。
どんな物でも丁寧に使うべきやなって思い直すきっかけになりました。
さて、明日からある島に行ってきます。
そのことは、また明日以降に書きますね。
それでは、また。
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